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震災後(31)復活

 大分県の同業の知り合いからお菓子が贈られてきた。大分市の銘菓「ざびえる」というバターたっぷりの白餡を生地で包んで焼き上げた、三万石の「ままどおる」を固くしたようなお菓子だ。美味しかったのに倒産・解雇の憂き目に合った従業員たちが退職金を出しあって新会社を作り復活させたお菓子で、地元では有名な話なんだそうだ。
 このお菓子のように宮城県も是非復活してほしいという篤いメッセージが入っていた。う~ん、ありがたいな、知り合いからの励ましの言葉は。期待に応えられるようしっかりと頑張りたい。
 でも、お菓子は「ままどおる」の方が美味しいかな、私には(笑)。


 昨日は出勤していたので今日から私の連休がスタート。じじばばのところへ行ってお茶飲みをしてきた。アパート(で風呂やトイレに行く手前)の脱衣スペースに取り付けたセンサー付きライトの使い具合はどうかと尋ねると、トイレに入ってしばらくするとライトが消えてしまうのでドアを開けて手を出して反応させるんだという???
 エッ、なんで?と聞くと、だって普段からトイレの電気は付けないんだもん、という答えが返ってきてズッコケた。トイレの電気ぐらい付けなよね。
 また、風呂に入っていて脱衣所が暗いのもなんかな、と言うので普通のライトに戻して、今度は玄関にセンサー付きライトを取り付けてみた。コッチの方が無難かも。まあ、少し使ってみて。


 震災後ようやく再開した近くのブックオフに行ってきた。う~ん、嬉しい。すぐ帰ると言って家を出たが、思わず店内に1時間半もいて古本を5冊買ってしまった。う~ん、やっぱり嬉しい。105円で買える知の遺産や面白そうな情報の数々。好奇心が非常に刺激される。
 ブックオフさん、ありがとう。(図書館があくまでは特に)よろしくお願いします。
 ちなみに、店内はすごく混んでいた。みんな震災の後片付けのついでに色々なモノを処分したかったのかな?持ち込みのお客が多かった。

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ホーム開幕

 勝利の要因はコレに尽きるだろう。田中の気迫の投球とリャンの正確なクロス。
 そのおかげでイーグルスもベガルタも待ちに待ったホーム開幕戦で勝利を飾り、大震災で疲弊していた宮城県民を大いに喜ばせた。その調子でこれからも勝利を重ねて被災者を元気づけてほしい。
 しかしそれにしても今日の田中将大投手の投球はすごかった。絶対に勝ってほしいとファンが願う試合で、期待に応えるピッチングを披露するのだから恐れ入る。やはり、斎藤佑樹投手とは「格」が違うな。

 また、嶋基弘選手会長の挨拶が素晴らしかった。*デイリースポーツの記事を拝借。
『本日は、このような状況の中、Kスタ宮城に足を運んでいただき、またテレビやラジオを通じてご覧いただき、誠にありがとうございます。この球場に来る事が簡単ではなかった方、ここに来たくても来られなかった方も大勢いらっしゃったかと思います。
地震が起こった時、僕たちは兵庫県にいました。遠方の地から家族ともなかなか連絡が取れず、不安な気持ちを抱きながら全国各地を転戦していました。報道を通じて被害状況が明らかになっていくにつれて僕たちもどんどん暗くなっていきました。
 その時の事を考えると今日ここKスタ宮城で試合を開催できた事が信じられません。
 震災後、選手みんなで「自分たちに何ができるか?」「自分たちは何をすべきか?」を議論して考え抜き、東北の地に戻れる日を待ち続けました。そして開幕5日前、選手みんなで初めて仙台に戻ってきました。
 変わり果てたこの東北の地を「目」と「心」にしっかりと刻み、「遅れて申し訳ない」と言う気持ちで避難所を訪問したところ、皆さんから「おかえりなさい」「私たちも負けないから頑張ってね」と声を掛けていただき、涙を流しました。
 その時に何のために僕たちは闘うのか、ハッキリしました。この1カ月半で分かった事があります。それは「誰かのために闘う人間は強い」と言う事です。
 東北の皆さん、絶対に乗り越えましょう。今、この時を。
 絶対に勝ち抜きましょう、この時を。

 今、この時を乗り越えた向こう側には強くなった自分と明るい未来が待っているはずです。 絶対に見せましょう、東北の底力を!本日はありがとうございました。』
 2万人を前にして、こんな立派な挨拶が私にできるだろうか?嶋、凄いな。

PS
 イギリスで故ダイアナ妃の息子ウィリアム王子が結婚式を挙げた。深刻な経済不況に陥りデモや暴動が発生しているイギリスなので庶民感情に配慮して質素なロイヤルウエディング(ダイアナ妃の結婚式の3分の1の経費)らしいが、まあそれでも派手だね、やっぱり。

技巧派投手

 昔々、ヤクルトスワローズに安田猛というピッチャーがいた。球が遅いことでマンガにもなった投手だが、人を食ったような態度で飄々(ひょうひょう)として投げ、抜群のコントロールが信条だった。資料を見ると実動10年で、4年連続二ケタ勝利も上げている記憶にも記録にも残るピッチャーだった。

 また、遅い球と言えば、オリックスで活躍した星野伸之投手も忘れられないピッチャーで、130km台のストレートと90km台のカーブで打者を翻弄し、一番早い球を投げる投手は星野だったと多くのバッターに言わしめたほどの優れたテクニックで11年連続二ケタ勝利を飾った一流のピッチャーだった。
 ただ、あまりの球の遅さに妻から「私にでも打てる!」と言われた話は有名だ。

 どうせ速球派投手にはなれないのなら、斎藤祐樹投手にもこのくらいの個性的な投球をしてもらいたいが、注目されるがゆえに勝つこと(=打たれないこと=芯に当てさせないこと)にこだわり過ぎて、逃げの投球になっているようにみえて仕方がない。甲子園時代の方が良い投げ方をしていたと多くの評論家に指摘される、そんなピッチャーに未来はあるのか?

斎藤佑樹という生き方

 斎藤佑樹投手の投球を見て満足する人は、おそらくファイターズのファンと、よほどのミーハーたちだけだろう。イヤ、コテコテの野球ファンならファイターズファンでさえ満足しないかもしれない。それくらいつまらない投球だと思う。
 まったく若々しさを感じさせないし、引退間際のベテラン投手のようなかわす投球しかできないルーキー。こんな投球のどこに魅力があるというのか。ニッポンの野球ファンおよびスポーツメディアの底の浅さを嘆かずにはいられない。ホントにあんな投球を褒めていいんですか、と。

 申し訳ないが、斎藤佑樹投手はいまのままではイーグルスの田中将大投手の足元にも及ばない二線級のピッチャーだと思う。すでに2戦2勝だが、もらったような勝ち星だし、1勝しかあげていないが田中将大投手が2試合で見せた気迫のピッチングとは雲泥の差があったと思う。負けても観るに値するゲームと勝っても値しないゲーム。
 
 身体のサイズが小さく細くても桑田真澄投手のように力感あふれる投球をし、かつ勝ち星を積み重ねたピッチャーもいるのだから、斎藤佑樹投手には早く考えを改めてもらい、勝負に逃げず、観る者を味方につけてしまうような熱いピッチングを披露してもらいたい。私にはかわす投法しかないというのなら、プロの世界から早く去った方がイイと忠告申し上げたい。

 ちなみに、オジサンたちはみんな、ジャイアンツの澤村拓一みたいなルーキーが好きなんです(たぶん)。

震災後(30)CD

 部下の車に乗せられて毎日古川まで通っているが、たいがい4~5人で乗り合わせるので車内ではいろいろな話になる。でも1ヶ月も過ぎるといいかげんネタも切れるので、最近はCDを持ち込んで音楽を聞かせてもらっている。私がこれまでに持ち込んだアルバムは、

いきものがかりのベストアルバム
SMAPのベストアルバム
コブクロのベストアルバム
カーペンターズのベストアルバム
山本潤子のベストアルバム
ビックバンドジャズのベストアルバム
ハワイアンのベストアルバム

 ハイ、私はベストアルバムが好きです。何事も「お徳用」が好きなようで。

 この中で一番評判が良かったのは、なんとSMAPで、高速道路を飛ばしながら朝日を浴びて聞くにはイイようだった。SMAPの歌はヘタクソだが「らいおんハート」「夜空ノムコウ」「セロリ」「ダイナマイト」「SHAKE」「青いイナズマ」などはノリがいいし、歌詞もよく聞くとなかなかで、演奏やアレンジは素晴らしいと思う。
 さあ、調子に乗って今日も(今夜も)元気を出していきましょうか。

震災後(29)経営者

 大崎地方の中小企業の社長たちと久しぶりに会っていろいろな話になった。どの社長も受発注取引の不透明性を一番の懸念材料にあげていた。部材が思うように調達できない、発注企業からの生産計画が示されず準備をどこまでしていればイイのか先が読めないといった悩みのほか、返済の繰り延べや新たな運転資金の調達方法などについて情報交換を行った。
 預かった半製品が被災した場合、どちらがそのリスクを負うべきかという問いには、どちらの立場の社長もいたので意見は対立し白熱した。事例としてはどちらの場合もあった。(最後はチカラ関係か?)
 自分たちの話がひと段落した後で、津波で工場を流された沿岸地域の企業に対して何かしてあげられないか、という話になった。いろいろな意見が出た。誰もが何かをしてあげたいという気持ちを持っていた。そうだよね、誰だって見て見ぬ振りなどできない大惨事だ。「義を見てせざるは勇無きなり」
 貸し工場でも、機械類の貸与でも、従業員の受け入れでも、何でもできることをしてあげようということになり、支援機関への情報提供とともに独自のルートで得たSOSを会員間で素早く回して救済に動くことが約束されたが、さて、どこまで成果を上げられるか。まあ、やるだけだ。

PS
 震災後は災害即応ということで、オフィスの中でも朝から晩までずっと作業服だ。車で送り迎えをしてもらっているので家を出るときから作業服姿でコレにすっかり慣れてしまったが、来週から新幹線通勤が復活すると作業服姿で仙台駅前をウロウロするのは恥ずかしいので、ネクタイ締めてスーツ姿に戻るか。はて、どちらの姿が自分らしいだろう?

震災後(28)雑感

 今日は朝から天気も良く、我が家のシダレザクラがそれなりに見られたのも、背景に澄み渡った青空が気持ちよく広がっていたせいか。

 しかし、休日がどうも寂しい。図書館が開いていないし、近くのブックオフも閉まったままだからだ。この二つがないとなんか調子が出ない。面白そうな本を探すのがとても楽しい息抜きになっていたことが、なくなってみて良く分かった。早く再開しないかなあ。新幹線も再開するというのに何をやっているんでしょうか。
 ちなみに、ブックオフやダイシンなどの郊外型の大型平面店舗は中に柱がないせいか地震などの揺れに弱いようだ。天井のパネルが簡単に落ちている。余震がまだまだ続いているので、そういうところに入るときは冗談ではなくヘルメットが必要なのではないかと思う。
 また、震災後、将監のトンネルの中で渋滞に巻き込まれたとき、ピクリとも動かない状況に恐怖を感じたことがあった。早くトンネルの下から抜け出したい。早く動けよ、何やってんだよ前の車!と一人で焦りまくっていた。そんな恐怖心は二度と味わいたくないのでその後は将監トンネルは通らずに桂方面とか宮城大学前を迂回しているが、まあいつまで続きますか。

PS
・人を感知して明かりがつくランプを買ってみたが、ウチのソケットにはどこも合わなかったので泉中央のじじばばのアパートの脱衣所に取りつけてみた。ランプの笠が外れなかったので感応部分が狭まったが、まあまあの反応でじいちゃんは面白がっていた。ほかにコック付きポリタンク(20L)一つとLEDランタン一つを置いてきた。

雨の休日

 今日、明日と震災後初めて二日続けての休みをもらったが、あいにく今日は朝から雨空。春を感じることができなかった。
 そこで、久しぶりにスポーツクラブに行ってきた。ほぼ2カ月ぶりか。プールが利用できないので混んでいるかなと思ったがそれほどでもなく、これまでのようにクロスバイクを3kmほど漕いでジム機器もひと通りやって汗をたくさんかいた。その後のシャワーとお風呂が気持ち良かった。体重は63.3kg。

PS
・最近通販で買ったモノ
①岩谷ウォッシャブルタンク(ナチュラルタイプコック付20L)1390円
②LEDランタン(乾電池式)980円

・ほしいけど売り切れていたモノ
○ソーラーパネルチャージャー
○カッコいいヘルメット(笑)

震災後(27)週末

(その27)
 ようやく週末か。なんか疲れた一週間だった。庭のシダレザクラは今年も花芽が少なく、部下に自慢したくなるような春爛漫の“満開”とはならなかった。ちょっと残念。どうして花芽が少なくなってしまったんだろう。
 「サクラ切るバカ、ウメ切らぬバカ」というらしいが、やっぱり、2年前にばっさりと枝を切り落としたことが原因なんだろうか?このトシになっても分からないこと・知らないことばっかりだ。

 石巻勤務で被災した昔の同僚(先輩)が古川にやってきたので少し話を聞いたが、だいぶまいっているようだった。普段なら大きな声でかなりキツイ冗談を飛ばす豪快な先輩なのだが、今日は力強さが感じられなかった。
 松島の自宅が津波に襲われ1階部分は全滅。辛うじて残った2階で暮らしているが買ったばかりの車も流された。仙石線が止まっているので通勤も大変だ。おかげで職場に20泊ぐらいしたかな。古川支社勤務だったら車も無事で他人事でいられただろうが(?)当事者だし職場も被災して滅茶苦茶だ。全く余裕なんかないぞ。ところでコッチはどうなんだ?なんかヒマそうにしているじゃないか。人も車ももっと石巻に回して寄こせ!と最後は吠えられた(根は元気な先輩だ)。
 しかし、全くそのとおりだ。困っている人たちがたくさんいるのに、すぐにお役に立てることができない。ガレキの後片付けぐらいはできるだろうが、被災者はそんなことを求めているんじゃないだろう。将来の見通しが立てられるような支援、具体的には住居の確保と、仕事の確保。これに尽きるのではないか。
 宮城県が4千人を緊急雇用すると言っているが、6ヶ月とか1年程度の短期バイトだし、とてもそれでは一家の生計を支えられない。日給9千円程度なら、十何ヶ月だか支給される失業保険をもらって、その間に実入りのイイ仕事を捜す方を誰だって選択するだろう。だから、どこの自治体の募集にも応募者が少ないのだ。
 やはり、根本的な解決には「仕事を作ること」が一番重要だ。特に漁業と水産加工業は港とは切り離せないのだから、背後地に公的資金を投入し組合形式で冷凍施設やライン工場を整備して共同利用を図るなど、とにかくヒト・モノ・カネを少しでも早く動かすことだ。
 まあ、その前にガレキの撤去や電気・水道・ガス、道路などのインフラ復旧がまず必要なので時間がかかるから、その間に被災地に仮設住宅を建設して近くに商店を開き、個々人の生活を安定させることを優先させるべきだろうな。
 大崎に勤務していてできることは何か?
 沿岸部に消費財を送ることと沿岸部の生産財を消費することか。
 来週には東北新幹線も全線開通するらしい。
 さらにまた日常が回復してヒト・モノ・カネが全国規模で廻り出すことに期待する。
 温泉地にでも行くか。

震災後(26)ボツ

(その26)
 離職を余儀なくされた方々に働く場を提供しようといろいろアイデアを出しているが、それが本社で採用されるかどうか分からない。
 ウチの部は特定の分野を所管せず、いわゆる遊軍部隊なので、そのため他部の領域にかかる事業でも提案しているが、これがまあ、ハッキリ言って煙たがられている。支社の他部に提案してもまともに受け取ってくれないので、直接本社の担当部に話を持ち込んでいるが、そこでも受けはいま一つ。すでに似た事業を計画しているとか、もう予算をオーバーしているからとか、本社の連中にとっては支社のアイデアなど余計なことのようだった。う~ん、虚しい。
 確かに自分が本社にいたとき、支社の提案をまともに聞いていたかと言えば「聞き置く」といった態度で接していたことを思い出す。それは何故かと言えば、素晴らしいアイデアはほとんどなく「思いつき」と言いたくなるような、とりあえず提案しろというので考えてみました、後は知りません、といったようなモノばかりだったからだ。
 でも、今回は本社からの指示を待つことなく一生懸命考えて様々な提案をしたのに、十把一絡げで扱われてしまった。う~ん、悔しい。一つでいいから日の目を見ないか。

震災後(25)本

(その25)
 震災後はあまり本を読んでいない。震災前に読んでいた本も日にちが経ってなんか改めて書くこともないが、とりあえず、震災前に買った本や借りた本(泉図書館が開いていないので返せない本)についてメモしておく。

●買った中古本
「いい家が欲しい」松井修三(09.02)改訂4版 再読
「4-2-3-1 サッカーを戦術から理解する」杉山茂樹(08.03) 再読
「ニッポン社会入門 イギリス人記者の抱腹絶倒レポート」コリン・ジョイス(06.12) デイリーテレグラフ誌の日本特派員が書いた本で、ユーモラスな文章にチョッピリ皮肉が利いていて面白い。そうだろうなとうなずく場面が多かった。
「巨大地震の日」高島哲夫(06.03) 震災前に買っていたが、読んだのは震災後。東海地震、東南海地震、南海地震が連動して発生した場合の恐ろしさを説いているが、それはそのまま今回の東日本大震災のことを言い当てていた。津波の恐ろしさにも触れられていたがボリュームはそれほどでもなく、実際に2万人を超える死者を出す津波が発生するとは、著者自身も考えていなかったのではないか。
「下妻物語 完」嶽本野ばら(05.09) 映画が面白かったので。未読
「定年前リフォーム」溝口千恵子、三宅玲子(05.01) 未読
「伊東家の食卓 裏ワザ大集合」日本テレビ編(99.03) 

●借りた本
「背表紙は歌う」大崎梢(10.09) 本と書店を愛する全ての人に捧げるハートフル・ミステリ。出版社の新人営業マン・井辻智紀の業務日誌シリーズ第二弾、と紹介文にあるが、第一弾の方が面白かったし、もうひとつの、駅ビル六階の書店「成風堂」を舞台にしたしっかり者の書店員・杏子と勘の鋭いアルバイト・多絵のコンビが活躍するシリーズもの、の方がさらに面白かった。続きを期待したい。
「この厄介な国、中国 改訂版」岡田英弘(08.06) 東京外語大学名誉教授が自信を持って書いたというこの本の内容が真実なら私は一生、中国人とは付き合わなくてもいいと思った。
「円満退社」江上剛(05.11) ブラックユーモアというものなのか、銀行支店長の定年退職の日に次々と巻き起こる不祥事を通して社会の裏側がユーモラスに語られている。社会勉強にはなるが読後感は悪い。

震災後(24)階段

 あの日から、職場では階段を昇り降りしている。最初は当然エレベーターが動かず、またなかなか電気が回復しなかったためにしばらくは選択肢としても階段しかなかったわけだが、電気が回復してからも階段利用が続いている。会社からは電力不足への協力で階段利用が奨励されたが、言われなくても何となく習慣付いてエレベーター脇の階段の方へ自然と足が向かうようになった。
 最初は職場のある4階までだけでも息が上がったが、もう息が上がることもなく階段を二段おきに軽快に駆けあがっている。エレベーターを待っている人を見かけるとどこか具合でも悪いのかな?と思ってしまう。習慣とは恐ろしいものだ。
 ただ、エレベーターの中に閉じ込められたくないから、という理由で階段を利用している者も結構いて驚いた。ふ~ん、なるほどね。確かに強い余震は続いているし、狭い空間に知らない人と長時間閉じ込められたら敵わないや。まあ、それで健康になったら儲けものだね。

PS
 昨日、Y女史はシュークリームを家に持って帰ってから食べたんだって。朝、ご馳走さまでしたと言われたが、なんか普通で、切り返しがなかったのでチョットつまらなかった。

仲直り

 そう言えば、怒りのメールをもらった職場のY女史とはその後、三日目に仲直りをすることができた(と思う)。
 三日目の夜、仕事でどうしても確認したいことがあったので再び石巻に応援に行ったY女史の帰りを待っていた。夜7時半すぎに戻ってきて確認は済んだが、その夜、職場に泊ることにしていた私は帰らずに机で仕事を続けていると、帰り支度を整えたY女史が机の前までやってきた。「今夜は部長がお泊りですか?」と尋ねるので、そうだよと答えると「じゃあ、頑張ってください。」と言って栄養ドリンクを1本、机の上に置いてくれた。
 嬉しかったが、恥ずかしかったので「これ、石巻でもらってきたの?」と憎まれ口をたたくとY女史はプーっと頬を膨らませて「いいえ、家から持ってきたんです。」と言うや、プイと回れ右をして部屋から出て行ってしまった。やれやれ、女性(独身・31才)の扱いは難しいや。

PS
 今日もY女史は石巻に行ったがY女史が支社に戻る前に私は退社しているだろうなと思ったので、隣のコンビニでシュークリームを買って机の上に置いておいた。果たして食べるかな?怒るような気もする。どうして私にだけオヤツをくれるんですか!と言いそうな女性なのだった。う~ん、やっぱりからかっているように取られるかな?
 朝7時に、よその部の新人クンを乗せて一人で車を運転し古川と石巻を往復して、帰りは夜の7時半ごろになるので御苦労さんという意味合いでオヤツを置いたのだが、でも半分はからかい気分かな、やっぱり(笑)。

震災後(23)日常から

(その23)
 久しぶりに家族で外食をした。回転寿司でたらふく食べた。
 久しぶりに床屋に行って髪を切ってきた。
 久しぶりに車を洗った。アチコチに凹みがあった。いつ付けたのだろう?
 久しぶりに庭に出た。モクレンが白い花をたくさん付けていた。青空に映えてとてもきれいだった。実家から移植して5年目になるボタンの木にも新しい花芽が出ていた。今年は期待できそうだ。シャクヤクも地面から力強く太い芽を出してきた。サクラの木の下にはヒマラヤユキノシタが紫色の小さな花を美しく咲かせていた。その我が家自慢のシダレザクラはようやく五分咲きとなった。こちらも今年は花をたくさん咲かせそうだ。送り迎えをしてくれている部下たちに早く自慢したいものだ。
 ことほど左様に日常が戻りつつある。家の周りは春、春、春。辺り一面“春満開”だ。
 
 このことをどう考えればイイのだろう。
 このまま以前のように平穏な日々を楽しむだけでイイのだろうか?
 いや、それではダメだ。以前と同じではダメだ。
 この大惨事からの復興に立ち向かう姿勢を忘れてはダメだ。
 でも、忘れそうだ。
 日常の生活の中では3月11日以前となんら変わらないのだから。
 忘れないためには仕事で積極的に関わるしかないのかもしれない。
 部下に明日話してみよう。我々が新しい宮城県を創るんだと。
 仕事を失った人に新しい仕事の場を提供するのだと。
 そんなことできるのか?いまは分からないけど、やらなくっちゃ。
 みんなで考えればイイ知恵も出るだろう。
 いつまでもガンバレとか、力を合わせてとか、信じているとか言ってばかりじゃダメだろう。具体的に生きていくすべを提供しなくっちゃ。それをしなけりゃ前に進めないだろう。ガンバレ、おれ。

いい人

 妻のお友達のアベさんは、とってもイイ人だ。私が生まれてからこれまでお会いした数えきれないほどの人たちの中でおそらく一番いい人だと思う。
 たとえば、浮浪者のような薄汚い恰好の老人が道に倒れていたとしよう。多くの人たちは気にはなるが遠目に見ながらただ通り過ぎるだけ、という行動をとるのではないだろうか。少なくとも私は声もかけられない。
 ところが、このアベさんときたら、かがんで顔を覗き込みながら背中に手を回し「大丈夫ですか」と声をかけるばかりでなく、タクシーを呼んで病院まで連れて行き治療費やタクシー代まで何のためらいもなく出してしまう。そんな優しすぎる人なのだった。とにかく、そうすることがその人のためになる、と思ったことは何でもすぐにしてしまう。嫌みのない(個人的な)慈善家なのだ。
 私は福島県の「かりんとうまんじゅう」が好きなのだが、そのことを知ったアベさんは福島に住む妹家族が仙台に遊びに来るときにわざわざ買って来させて、かつ妹に私の家まで届けさせるのだった(う~ん、やり過ぎだよな)。
 これ、リョウヘイ君に似合うかと思って、と言ってウチの息子にTシャツを買ってくれたこともあった。旅行のお土産ならまだしも、近くの衣料品店に行ってのことなのだから呆れてしまう。代金は絶対受け取らないし、親切の押し売りをこれでもか!これでもか!とする人なのだった。
 夏祭りで「オヤジの会」が焼きそばを作ったとき、さっぱり売れていないことを知ったアベさんは、テントの前に陣取り、一生懸命ときには強引に客引きをして早々に完売させてしまったのだった。
 とにかく、行動が伴う、とってもイイ人なんだが、でも、この人の旦那は半ば公然と浮気をしていて、アベさんは子どもたちが独立したら離婚するつもりなのだという。なんてことだ。
 PTA活動を通じてアベさんの旦那は昔から知っていた。一流企業に勤めるお洒落な人で服装や持ち物のセンスが良く話も如才なくて、さすがアベさんの御亭主だなと思っていたのに、これにはショックで人間不信に陥りそうだ。中学生の娘の知るところとなり、東京に単身赴任中の父が帰ってくると体調がおかしくなるのだという。
 なんとももったいないことだ。成績の優秀な息子と娘を持ち、かつ妻もこんなに素晴らしい人だというのに、何の不満があるというのだろう。
 津波で家族や財産を失った人の悲しみは大きいと思うが、アベさんの悲しみも深いのだろうな。そんなことはおクビにも出さないが。

震災後(22)風呂バンス?

 震災から1ヶ月が経ち、仙台市ガス局の復旧率が80%を超えたところでようやく我が家のガスも回復した。やれやれ。本当ならもっと喜びたいのだが、あと1日でも遅ければ、なお嬉しかったんだけどね。
 というのも、なかなか回復しない都市ガスにイライラが募り、とうとう通販で買ってしまったのだ。「スーパー風呂バンス1000」という器具を。
 これは水を張った風呂桶に沈めて電気で湯を沸かすというキワモノで、3月11日の震災後は売り切れか、または倍近くの値段でしかネット市場では流通していなかったので無視していたが、4月13日の夜、自宅でネット市場を検索していたら2万3千円で「即納」!という店を発見し、その惹句に魅かれて散々悩んだ末に思わず買ってしまったのだが、それがよりによってガスが開栓した日に届くとは。う~ん、タイミングが悪い。
 せめて1日でも早く届くか、遅れて開栓してくれれば投資した甲斐があったと無理にでも自分を納得させたのだが、よりによって同じ日だったとは....無念じゃ。
 しかし、ちょうど宅配便で器具が届いたときに妻のお友達のアベさんがウチに居て、せっかくお父さんが家族のために買ってくれたんだから、今日はこの器具でお風呂を沸かしましょうよ、そうしなさいよと言ってくれて、妻は面倒くさいなと思ったそうだが、アベさんがサッサと器具をお風呂にセットしてしまったんだそうな。ありがとう、アベさん。ホントにあなたはいい人だ。

震災後(20)連勝

(その20)
 プロ野球がようやく開幕しイーグルスは敵地でマリーンズに連勝して開幕2連勝を飾った。暗い話題が続いているのでまずはめでたいことだと思う。これからもがんばってもらいたいが、まあイーグルスのことだから急上昇以上に急降下もあるだろう。あまり期待しないで応援していきたいと思う。
 ちなみに、野村克也監督の最終年だった2009年は、開幕4連勝と創設以来最高のスタートを切り、結局シーズンも2位となって初めてクライマックスシリーズに進出したのだった。今年は発奮材料があるのだからそれ以上を目指してもいいのかもしれない。ただ、「被災者のために」というフレーズを繰り返されるとチョット違和感を覚える。ゲームは純粋に楽しみたいし、復旧も復興もやるよ、日本人はきっちりと。

 

震災後(19)涙

(その19)
 この話を聞いたのはもう2週間も前だが、やっぱり文字に残しておこうと思う。

 仙台の隣町、利府町に大きな体育館があるが、今回の大震災で亡くなられた方々の遺体安置所の一つになっている。そこへ部下が行った時のこと、中学生が自転車に乗って一人でやってきたのだという。何となく気になって声をかけると両親を捜しているという。
 その体育館は宮城県の総合運動公園(グランディ21)の中にあるのだが、公共交通による足がなく大変に不便なところで、仙台市民の感覚からすると、とても自転車で行こうとは思わない遠隔の丘陵地にあるのだった。そこへ中学生が自転車に乗って一人で来たのだ。
 今回の津波で両親と離れ離れになり、一週間は自宅近くの避難所にいたが迎えに現れず、二週目に入ってから自転車であちこちの避難所を廻ったが見つからないので、三週目になってとうとう遺体安置所を廻っているのだという。
 その話を聞いて、部下の前だったがポロポロ涙がこぼれて仕方がなかった。人前で泣くなんてたぶん生まれて初めてだが、そのくらい哀しくて感情が抑えきれなかった。そのとき頭の中にはその少年がグランディまでの長い長い上り坂を腰を浮かしながら一生懸命に自転車を漕いでいる情景が浮かんでいた。どんな気持ちで遠い道のりを漕いできたのか。その時の心情を察すると、今この文書を書きながらでも涙がこぼれて仕方がない。
 孤児になっただろうその子に、この先どんな暮らしが待っているのだろう。その少年がウチの息子だったとしたらグランディまで自転車を漕いで来てくれただろうか。バカ息子だが、そのくらいはしてくれたか。おまえ、どうやってこの先、生きていくんだ?誰に助けてもらうんだ?そんな風にいろいろ思いを巡らすといつまで経っても涙が止まらなかった。彼らのためにしてやれることは何か。考えたい。

震災後(18)山下

(その18)
 震災後、4日目の休みだった。ガソリン事情も回復したので、じじばばにどこかへ行きたいところはないかと尋ねると葛岡の墓がどうなっているか気になるから見に行きたいという。でもじじは7日深夜の地震でずれたタンスを直す際に腰を痛めてやっぱり動けないというので、ばばだけを連れて葛岡に向かった。
 絶対倒れているだろうなと思ったが葛岡は地盤が固いのか、ほとんどの墓石は倒れておらず、我が家の墓もちゃんと健在だった。まあ良かったねとばばに言うと、ばばは遠慮がちに時間があるなら山下にも行ってみたいと言う。新聞には被災地を見学に来る野次馬が多くて復旧活動の妨げになっていると書かれていたので、あまり気は進まなかったが、ただ実家が流されたばばにしてみれば、そりゃあ一度はこの目で確かめたいだろうなと思い直してやっぱり行くことにした。
 葛岡から茂庭へ向かい南部道路経由で東部道路に乗ったが、そこから見える東側(海側)の無残な景色は西側(山側)の見慣れた田園景色とは全くの別世界でただただ驚くばかりだった。漁船が東部道路そばまで流されていた。無数の自動車や倒壊した家屋の残骸が海水の引かない水田にテンでバラバラに、どこまでもどこまで散乱していた。いったいいつになったらこれらをすべて片付けられるのか?見当もつかないほどの広大な被災面積だった。
 高速道路を降りて、まずはJR山下駅に向かったが常磐線を横断する手前で止められ、これより海側に入るには役場発行の通行許可証が必要だと言われてしまった。せっかく来たのだからと山元町役場まで行くと、たくさんの自衛隊車両が駐屯していた。役場の中も難民キャンプのようなありさまで、多くの人々がごちゃごちゃと動き回っていて、一気に被災地に来たという感じが高まった。
 訳を話して通行許可証をもらい、ばばの実家を訪ねると、そこには建物の基礎が残されているだけで、ものの見事に何もなかった。また、そこから1kmほど山下駅に向かったところにあるばばの姉様の家にも行ってみたが、増築した部分だけが残り、母屋は完全に流されていた。う~ん、ココが昔よく遊びきた家なのか?その変わり果てた姿にただただ茫然とするばかりだった。

山下のT家2  山下のT家1  山下のI家
茫然とたたずむババ   田●家のかつての玄関先   右半分がなくなった石●家

震災後(17)都市ガス

(その17)
 我が家の都市ガスの復旧がいつになるのか?新聞やネットで確認しても我が家の地域が開栓作業に入るという予告すら出ていない。すでに仙台市内では50%を越える復旧状況だと言うのに。そうグチると副支社長から、まあそれだけ都心から遠からず近からずの適地に住んでいるということだよ、とカラカイ半分で慰められたが、でも風呂に入りたい。
 ということで、3月30日に都市ガスが復旧した泉中央のじじばばのアパートには二日に一度、お風呂をもらいに家族4人でお邪魔している。ちょうど3月下旬からは夜間の職場待機は必要最小限度に止められ、部長職の私は宿泊ローテーションから外してもらったので毎晩仙台に戻るようになり、帰宅後に私が家族の送り迎えをしているのだった。
 ちなみに、今回の震災さえなければすでにリョウヘイも自動車の運転免許を取得し、泉中央までの送迎ぐらいさせていただろうが、あいにく通っていた自動車学校が被災し今週からようやく講習が再開されたばかりだという。しかし、路上講習も中盤まで進んでいるというので、今年のゴールデンウィークにはリョウヘイの運転でどこかへドライブに行くこともできるかな?と家族に提案するのだが、リョウヘイ自身は全くその気がない。妻も真顔で家族4人では乗らない方がいいと言い、実は私も自動車保険の保険料の増額が心配。

*ちなみに、7日の余震でじじばばのアパート屋上の給水タンクが壊れ大量の水があふれ出し、それがポンプなどの機械系統を壊したとかで、復旧には1カ月かかると管理者から連絡があったということで、「じじばばの湯」も敢え無く閉店となってしまったのが、とても残念だ。次の「お風呂」を探さなければ。

震災後(16)余震

(その16)
 「余震」と言うには、あまりにも激しい真夜中の揺れだった。二日前にとうとう義母の家を引き払い、自宅に戻った矢先のM7.1「震度6弱」の強い揺れだった。私は目の前にあったテレビを収めた大型ラックが倒れないように押さえ、妻は(いつもの)突然の「めまい」で早くに寝ていて布団の中で動けずにいた。
 揺れが収まるとすぐに電気が消えた。息子に懐中電灯で照らしてもらいながら(4週間前と同じように)着替えや当座の食料をカバンに詰め込み、すぐに職場のある大崎市古川に向かおうとした。すると妻から会社に行く前に義母の様子を見てきてほしい、不安がっているようならウチに連れてきて、と頼まれた。
 おおっ、そうだったな。凄い揺れだったし停電の中で一人じゃ心細いだろうと車で回ったが、義母はいつものように元気で、逆に今ならまだ水が出るから早く風呂桶や鍋釜に溜めておきなさいと指導されてしまった。ウチに来ることを勧めたが大丈夫だからと断られ、それを妻に報告してから次に泉中央のじじばばのアパートへ向かった。
 非常ベルが鳴り響き、午前0時を回っていたが多くの人たちが10階建てアパートの広い駐車場に不安そうな表情で集まっていた。
 じじばばの部屋がある6階まで階段を上がるとドアが開いていた。中に入ると玄関に倒れたポリタンクがあり、灯油がかなりこぼれていてだいぶ臭かった。室内はめちゃくちゃになっていたがじじばばを呼んでもおらず、戸外に避難したかと思い近くの外階段で地上に降りると目の前の駐輪場の脇にパジャマにオーバーコートを羽織ったじじばばが並んで座っているのを見つけた。二人とも怪我はなく息子(私)の顔を見るとニコニコ笑いかけてきたので、まあ大丈夫だっただろう。
 今回の地震の大きさや被害の状況などが全く分からないというので、震災後は常に胸ポケットに入れていた携帯ラジオをじいさんに貸し、アパートの自治会の指導に従うように言い残して古川に向かった。
 全ての信号機が止まっているので交差点では慎重に、また道路も陥没や段差ができているかもしれないと思い時速50km程度で真っ暗な夜道を運転していたが、構わず追い越していく車が結構いたので、よほどの大バカか、急ぎの用事がある人なのかとも思ったが、でもアレは止めた方がいい。大変に危険だ。あの人たちは前回の震災で何も学ばなかったのだろうか?

 午前1時半に職場に到着すると地元に住む部下が2人出勤していた。仙台の私が3番目に到着したので早いと驚かれたが、ちょっとの差で栗原に住むK係長もやってきた。
 なんだ今夜はこれだけか?と思っていると次長から携帯に連絡が入り、S係長に乗せられてA女史と古川に向かっている途中だという。また、出ずっぱりのキムラ君はようやく明日(8日)を休日に割り当てたばかりだったので自宅待機に、また仙台支社に応援中のM女史も自宅待機させたという報告を受け、その判断の速さに感心した。普段は生意気だが、やっぱり優秀だな。
 深夜ではあったが手分けして関係するところに電話を入れると、つながらなかったり、夜が明けないと詳しいことは分からないといった返事が多かったので、とりあえず朝まで各自で仮眠をとることにした。これで職場に泊まったのは何日目かなと思いながらロッカーにしまっておいた寝袋を取り出しもぐりこむと、私はすぐに寝入ってしまった。

震災後(15)凹む

(その15)
 石巻支社に応援に行っていたY女史が午後6時半に古川の支社に帰ってきた。毎日交代でウチの部からも1人を応援に出していて通常だと帰りは7時を過ぎることが多く、初期には8時過ぎになることもザラだった。
 そんな中、早く帰ってきたので、きっとY女史が怖くて石巻支社でも早く帰ってもらったんだろう、もしくは私を早く帰しなさいとでも言ってきたかな、と冗談を飛ばしながら職場を後にしたら、どうもその一言がY女史にはかなり頭に来たらしく、次の朝、メールを開くと長文の苦情というか、上司の軽口が如何に部下を傷つけるかという内容のお便りをもらってしまった。う~ん、1年間一緒に仕事をしてきたのに、なかなか分かり合えないものだな。
 普段から軽口を飛ばして仕事をしてきたし、たまには逆襲を食らうこともあり、上司を上司とも思わず食ってかかる強気な態度を頼もしく思っていたのだが、男女の違いか、ハタマタ歳の差なのか、こちらでは「仲間」と思っていたのに、彼女から「仲間」とは認めてもらえなかったと言うわけだ。
 私が上司の立場で知らず知らずのうちに高圧的になっていたのかもしれないが、自分ではよく分からない。仕事を通して分かりあえる仲間だと思っていたのに、残念だ。本音を言えば、そんなことで怒るなよと言いたいのだが。
 お詫びのメールを3m先に座るY女史に送ったが、気分は一日中すぐれなかった。
 とてもこれまでのように軽口をたたく気にはなれず、今日は事務的な会話しかしなかった。彼女も顔色も変えずに、ハイとか、いいえと言うような返事しか返さず、全くつまらない一日だった。

震災後(14)外国人選手

(その14)プロ野球のチャリティ試合を見ていて思ったこと
 東日本大震災で太平洋沿岸の各地が壊滅的な被害を受けてプロ野球開催のメドが立たず、また福島の原子力発電所の放射線漏れが騒がれ出すと多くの外国人選手は一斉に本国へ引き上げてしまった。被災者や被災地を見捨てたのだ(と思えて仕方なかった)。
 それはJリーグの外国人選手も同様だった。日本を愛してやまないと何度も語っていた名古屋グランパスのストイコビッチ監督でさえ、帰国してしまったのだ。しょせんはその程度の関わりなのだな、助っ人外国人とは。内戦で揺れるリビアの傭兵のようなものか。そんなドライな対応を非常に悲しく思うし、不愉快にもなった。困った隣人を見捨てるのか、あなたたちは。
 このことはたぶん、ずっと忘れない。観戦するたびに思い出して、ヘマをするたびに罵るかもしれない。「この腰抜け野郎!トットと国へ帰れ!」と。
 なお、誰が残って誰がサッサと帰ったか。よく調べてから間違いのないように罵りたい応援したい。

*イーグルスで帰国したのは、らずなー、るいーず、ひめねす、もりーよ、きむ選手たち。帰らなかったのはスパイアー選手のみとか。ちなみにベガルタでは全ての外国人選手とスタッフはすぐに帰国したらしい。おいおい、そんなことだから人気でイーグルスに負けちゃうんだぞ。ベガルタの選手たちは被災地に対して何をしてくれたんだ?私が知らないだけか??

震災後(13)人工地盤

(その13)
 4月2日は震災後3度目の休みをもらって久しぶりに家のことをやっていた。
 まず、ごちゃごちゃのままの階段下の物置と裏庭の物置の片づけ方をやった。妻や息子たちは全く自分のテリトリーとは思っておらず、ほとんど手つかずの状態だった。
 懐かしいモノをいろいろ見つけたが、この際だからと結構、捨てた。自分でも驚く「潔い」対応だった。これまでの生き方やこだわり(モノを捨てない。捨てたくない!という姿勢)を変えるには、やはり何かの「きっかけ」が必要なのかな?たかがゴミ捨てだが、そんなことを考えた。

 地元紙の河北新報に、ある大学教授の復興構想が掲載されていたが、今回の津波がかぶらないくらいの高さまで大量のコンクリート柱で人工地盤を造成し、人々はその上で生活して町を形成するというアイデアは全く現実味がないように思われた。人命は尊いが生産性の高くない漁村を守るために誰がそんな金を出すのか?
 次に、大量に出たガレキを利用して海岸沿いに積み上げ、その上を覆土して人工砂丘地帯を造成し、さらに植林して合間にはバイパス道路や公共施設を配置するという構想も示されたが、日常的に海が見えない生活に漁業者が耐えられるのか、とても疑問だ。海に近いから、田んぼのそばだから漁業や農業をやれるのだ(と思う)。
 また、沿岸部の製造業は当分の間、機能しないのだから、それまでは大崎地域などの内陸部の製造業が頑張らなければならないだろう。ただ、単純に大崎の企業が沿岸部で職を失った人々を雇用して増産すればイイというのではなくて、沿岸部の企業に空き工場やラインを貸し出して自力経営を手助けし従業員の雇用を維持しながら並行して沿岸部の復興を図ることが必要だ(と思う)。水産加工業は沿岸部を離れられないだろうが、その他の製造業は隣町でもできるのだから。
 なお、それはつまり、よその県やよその国でもできてしまうということにもなるので、そうさせないためにも隣接地域が速やかに行動する必要がある。動けよ、宮城県。

震災後(12)温泉

(その12)
 部下の車に乗せられて仙台に帰る途中、ぼんやり外を眺めていたら、ある看板が目に入った。「あっ、温泉!」そう三本木にあるひまわり温泉「花おりの湯」の看板が目に入ったのだった。
 相乗り通勤をするようになってからは高速道路を利用して行き帰りをしていたので国道沿いにあるこの温泉のことを忘れていたが、この時は「下」を走っていて遅ればせながら気がついた。通勤途中にあるし入ってもいいかなと思い、ちょっと寄ってもらった。
 夜も8時を回っていたが駐車場には結構、車が止まっており、やっぱり混んでいるようだったのでその日は中に入らずに帰ったが、でも入れると分かると無性に風呂に入りたくなった。
 我が部の社員10人のうち、その日までに風呂に入れない者は2人に減っていたが、そのうちの一人が私で、もう一人が28才の女子社員Aだった。次の日、Aにその話をすると「とても魅力的な提案ですね。ぜひ、お願いします。」ということになったので、ついでに仙台相乗り通勤組にも声をかけ、その日は4人で仕事帰りに入ることになった。これがまた非常に気持ちがよかった。とろけるようだった。そんなに混んでもいなかった。
 頭も身体も二度ずつ洗い、全身ツルツルになって気分がとってもほぐれた。そして誘われるように飲食コーナーがある大広間に足が向かい、冷たい生ビールを大ジョッキでグビッと飲んだところで幸福感が頂点に達した。う~ん、し・あ・わ・せ。
 その弛緩した表情を部下に写真を撮られたが、まあその顔の情けないこと。被災地の方々には申し訳ないが、その瞬間、大震災のことはすっかり頭から飛んでいた。でも、おかげ様で英気を十二分に養えたので、また明日から頑張りたい。そして被災された方々にも一日も早く生ビールを飲んでうまいと感じてもらえる日が訪れてもらいたい。

震災後(10)上司、(11)部下

(その10)
 4月1日になった。新年度だ。定年退職された支社長に代わって新しいY支社長が赴任されたが、とても素晴らしい上司で以前から尊敬してやまない方なので非常にうれしい。
大きな視野を持ち問題点の把握能力に優れ、また課題に対する対応策の構築も早いし的確だ。2年前に本社で仕えたK課長とは同期だが、天と地ほどの差がある。こういう人こそ上に立つべきだろう。K課長と同期だということは私とも同じ歳なのだが、全然気にならない。がんばって支えていこうと思う。
 そこで早速お節介をした。うちの支社の総務の連中は全く気が利かない奴らばかりで、非常事態なのは分かるが新支社長のあいさつ廻りのスケジュールさえ組んでおらず、各部で必要と思われるところに来週以降ご案内してくださいという全くふざけた対応をするので、主要なところだけでも今日中に廻りましょうと私が案内し、行けないところには電話番号をメモしてお渡しし電話をかけてもらった。このくらいやれよな総務なら!
 なお、総務部の言い訳に、3月31日付けで支社長車の運転手が辞め、後任者がまだ決まっていないのでという件(くだり)もあったが、お粗末の一言だ。私がこれまで経験した12の職場の中で、おそらく最低の総務部だ。

(その11)次長に仇を取られた件について
 災害復旧上、急を要することだったが素直にはウンと言ってもらえそうにない案件だったので、すぐ市役所に交渉に行ってくれと次長にお願いしたことがあった。しかし、次長は電話をかけてすませようとしたので、この案件は電話じゃ駄目だ、直接行ってくれと再度指示したが、まず電話してそれでも必要なら行きますからと譲らない。むしろ何でこんなことでわざわざ出かけなくっちゃいけないんだというような顔をしている。次長は普段から生意気なのであった。
 じゃあ好きにしろと任せると言葉巧みにこちらの要望を電話1本で認めさせてしまった。所要時間5分。まあ、そりゃあ行かなくて用件が済めばそれにこしたことはないが、初対面の部署だし、無理なお願いだし、常識的には出向くのが当たり前な案件だったが、災害対応の緊急事態であったこと、相手がやさしい方だった(?)ことから電話で済んだのだろうが、う~ん、悔しい。次長が涼しい顔をしているのが、なおさら癪だ。

*後日談として、似たような事案がもう一度あった。そのときも次長は電話一本で済まそうとしたが、そのときは電話では決着がつかず結局出かけて行って交渉し、それでようやく了解を得る、ということがあった。ネ、次長。何でもあんたの思いどおりにはならないんだよ、face-to-faceはいつの時代でも大切なのだ、とチョットだけ溜飲を下げる。

震災後(9)リズ

(その9)
 この間に、エリザベス・テーラーが亡くなり、彫刻家の佐藤忠良氏も亡くなった。今回の大災害さえなければ、特にエリザベス・テーラーの場合は、日本でもすぐに特集番組が何本も組まれただろう。アメリカの「繁栄と衰退」を具現化したような大女優だった。
 高校生のとき美術部だったので腕試しにエリザベス・テーラーの写真を見ながら顔だちをスケッチしたことがあるが、見れば見るほど端正で非の打ちどころがない顔立ちに思えて、これこそがミケランジェロの彫像のような理想の姿、美の象徴ではないかと心底感心した覚えがある。単純に美しさを競えば、オードリー・ヘップバーンよりもリズの方が断然美しいと私は思った。あんなに太い眉毛をしていて全く美しさを損なわず、むしろ意志の強さを感じさせる女優はリズ以外には見当たらない。不世生の大女優だったと思う。
 ただ、晩年は離婚結婚を繰り返し、三面記事を賑わせるたびにガッカリさせられた。あの「若草物語」(49)の四女エイミーも成長するとこんな風になったのかもと思うと非常に寂しかった。
 なお、映画「ジャイアンツ」(56)でロック・ハドソンやジェームス・ディーンと共演した時の東部の名家の娘レズリー役が最もエリザベス・テーラーの実像に近かったのではないかと勝手に思っている。
 また、ひとつ「古き良き時代」が去ったような気がする。

震災後(5)相乗り、(6)3万人

(その5)
 我が部の職員は私を含めて10人だ。そのうちの7人が仙台から大崎市古川の支社まで通っている。自動車通勤は3人だけであとの4人は新幹線通勤だったが、新幹線も在来線もこの震災で長期不通となったため、バスか自動車で通うしかなくなってしまった。
 しかし、仙台・古川間の高速バスは、震災後は列車利用組が流れてバス停には長蛇の列ができていると聞くし、やっぱり自動車で通うしかないかと思ったところにガソリン不足が追い打ちをかけ、職員はみな通勤に苦労することになった。
 震災後1週間は職場に詰める職員も多かったが、徐々に夜間作業もなくなり、夜は二人を残して自宅へ帰すようにしたが、ガソリン不足で帰りたくても帰れない職員が出始めたので、仙台組には相乗りを奨励することにした。
 そうなると、自然の成り行きでワンボックスカーを持っているS係長に白羽の矢が立ったが、絶対に自ら進んでどうぞと言うような男ではなかった。かといって絶対にイヤだと言い張る根性も無いので結局はみんなに押し切られてS係長が車を出すことになった。
 ちなみに、相乗り車がS係長の車と決まるまで、しばらくはS係長の部下で私以上に積極的なキムラ君が自ら買って出て普通乗用車に3~4人を乗せて往復してくれたが(最初は職場泊まりの者が多くそれでも間に合っていたが)、みんなの無言の「乗せろビーム」には抗し難かったようで、先週からはS係長の車がメインの「送迎車」になった。ハイ、どうもありがとう。始めから手を上げたのなら少しは株も上がっただろうに、嫌々では評価は全然上がらんよね、ハイ、ご秋霜様。
 なお、若い部下たちは古川市内を駆け回り、携行缶にガソリンを給油してもらってはせっせとS係長の車にガソリンを継ぎ足して燃料不足を生じさせないよう万全の態勢を執っているのだから不満はないだろう。不満を言ったら罰が当たるぞ。


(その6)
 今回の震災での死亡者・不明者は合わせて2万数千人に達すると報道されており、とてつもない未曾有の大災害だと言って過言ではないと思うが、それを上回る数の人々が毎年自らの命を絶っている。毎年3万人を超える人々が自殺する国、日本。このことをどう考えればいいのだろう。
 地震・津波の災いは逃れたが家も家族も仕事も失い、生きる希望を見い出せず自ら命を絶つような人が出ないよう、復興には心の支えが必要だ。親族を失った人々の最後のよりどころは地域の仲間とか、古い友人とか、職場の同僚とか、とにかく、萎えそうになる気持ちを支えてくれる仲間の存在が大きいのではないかと思う。「その一声」が大きな意味を持つ、そんな気持ちで身近なことから始めたい。

震災後(3)J&B、(4)入りたい

(その3)
 泉中央の高層アパートに住むじじばばに怪我はなかったが、その後はどうしているかと思い震災から11日目に一度休みをもらって様子を見に行った。事前に電話をかけて何か欲しいものはないかと訊ねると特にないと言っていたのに、訪ねてみると灯油がポリタンクにあと一つしか残っていなかった。
 そのうち配達されるだろうから大丈夫、大丈夫と言うのだが、この燃料不足の折、それは非常に怪しい。家に戻ってウチのファンヒーター用の外タンクから灯油を抜き取り、ポリタンクで3つを運んだ。
 じじばばも小さな電気ヒーターは持っているが、都市ガスが復旧するまではストーブだけが唯一の熱源でそれがないと煮炊きもできないから灯油はじじばばにとって必需品のハズだった。妻からはそんなに上げたらウチの分がなくなるじゃないと後から小言を言われたが、まあ老い先短いじじばばなんだから人生の終わりぐらい不安なく過ごさせてやりたいじゃない、分かってよとでも話せば良かったのだろうが、フン!と言ってそっぽを向いてしまった。大人げなかった。
 灯油とともに明石台のウジエスーパーで買い込んだ色々なモノを持っていき、好きなモノを選んでもらった。ウジエスーパーには肉も魚も刺身もお寿司も豆腐も牛乳も焼き立てのベーカリーさえもなんでも揃っていて、以前と同様に点数制限もなく売られていたので驚いた。あるところにはあるもんだなあ、と思わず呟いたら、隣にいたオジサンも全く同じタイミングで同じセリフを呟いたので思わず顔を見合わせて「ですよねえ~」といってお互い笑った。レジに並んでいるときも前後の人たちと何とはなしに会話が生まれ、みんなたくさんの食料をみてホッとしているのがよく分かった。

 ところで、二度目の休みを震災から18日目(28日)にもらい、再びじじばばのアパートに顔を出したら、やっぱり灯油はまだ配達されておらず、7日前に持っていった灯油が重宝されていたのだった。<(`^´)> エライ!

(その4)
 都市ガスが回復しないのでどうせ家に帰っても風呂には入れない。非常時なんだからと自分に言い聞かせて我慢してきたが、震災後11日目にもらった休みの際はどうしても我慢できなくなってヤカンでお湯を沸かし3つ分を溜めて小さな衣装ケースに熱めのお湯を作って、それで頭や身体を洗ってみた。湯冷めするかなと思ったが、熱いお湯を我慢してかぶるとカラダも冷めずに頭も身体も不自由なく洗うことが出来た。うん、これはイケるぞ。色々不自由な生活を強いられる日々だが、この「衣装ケース風呂」があればドンマイ、ドンマイ。なんてことないさ。頑張れ、東北!やるぞ、ベガルタ!(及びイーグルス!)
 ちなみに、家族は友達や近所の知り合いにもらい湯して、ちゃんとした風呂にすでに3回も入っているのだった。くそー、やっぱり羨ましいぞ。

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yyrn

Author:yyrn
戌年生まれ。南小泉で生まれ育ち、結婚して榴ヶ岡で賃貸暮らしを始め、子供が生まれて仙台の北の丘陵地帯に移住。強烈な宮城県沖地震を経験し、あまりモノには固執しなかったはずが、一生アパート暮らしも淋しいかと13年前に北の丘陵地帯に中古の家を購入。そこで庭いじりでもしているハズが3月11日に大震災を再び経験。幸い家族や我が家には被害はなかったが2万人が亡くなった大震災だ。この経験を無駄にしてはならないのだが・・・・
*写真は震災前の網地島の白浜海水浴場

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