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震災後(18)山下

(その18)
 震災後、4日目の休みだった。ガソリン事情も回復したので、じじばばにどこかへ行きたいところはないかと尋ねると葛岡の墓がどうなっているか気になるから見に行きたいという。でもじじは7日深夜の地震でずれたタンスを直す際に腰を痛めてやっぱり動けないというので、ばばだけを連れて葛岡に向かった。
 絶対倒れているだろうなと思ったが葛岡は地盤が固いのか、ほとんどの墓石は倒れておらず、我が家の墓もちゃんと健在だった。まあ良かったねとばばに言うと、ばばは遠慮がちに時間があるなら山下にも行ってみたいと言う。新聞には被災地を見学に来る野次馬が多くて復旧活動の妨げになっていると書かれていたので、あまり気は進まなかったが、ただ実家が流されたばばにしてみれば、そりゃあ一度はこの目で確かめたいだろうなと思い直してやっぱり行くことにした。
 葛岡から茂庭へ向かい南部道路経由で東部道路に乗ったが、そこから見える東側(海側)の無残な景色は西側(山側)の見慣れた田園景色とは全くの別世界でただただ驚くばかりだった。漁船が東部道路そばまで流されていた。無数の自動車や倒壊した家屋の残骸が海水の引かない水田にテンでバラバラに、どこまでもどこまで散乱していた。いったいいつになったらこれらをすべて片付けられるのか?見当もつかないほどの広大な被災面積だった。
 高速道路を降りて、まずはJR山下駅に向かったが常磐線を横断する手前で止められ、これより海側に入るには役場発行の通行許可証が必要だと言われてしまった。せっかく来たのだからと山元町役場まで行くと、たくさんの自衛隊車両が駐屯していた。役場の中も難民キャンプのようなありさまで、多くの人々がごちゃごちゃと動き回っていて、一気に被災地に来たという感じが高まった。
 訳を話して通行許可証をもらい、ばばの実家を訪ねると、そこには建物の基礎が残されているだけで、ものの見事に何もなかった。また、そこから1kmほど山下駅に向かったところにあるばばの姉様の家にも行ってみたが、増築した部分だけが残り、母屋は完全に流されていた。う~ん、ココが昔よく遊びきた家なのか?その変わり果てた姿にただただ茫然とするばかりだった。

山下のT家2  山下のT家1  山下のI家
茫然とたたずむババ   田●家のかつての玄関先   右半分がなくなった石●家

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No title

しかし、あそこまで津波が来るとはね。
平地とはいえ、海は遠かったのに。
おばちゃん達、助かってほんとうに良かったぁ。
でも、じいちゃん方の親戚は亡くなった人もいるんだよね。

No title

 う~…ん、言葉が出てこない。
 この写真を観て、津波の怖さが、なんか、初めてホントに実感できたような気がする。

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Author:yyrn
戌年生まれ。南小泉で生まれ育ち、結婚して榴ヶ岡で賃貸暮らしを始め、子供が生まれて仙台の北の丘陵地帯に移住。強烈な宮城県沖地震を経験し、あまりモノには固執しなかったはずが、一生アパート暮らしも淋しいかと13年前に北の丘陵地帯に中古の家を購入。そこで庭いじりでもしているハズが3月11日に大震災を再び経験。幸い家族や我が家には被害はなかったが2万人が亡くなった大震災だ。この経験を無駄にしてはならないのだが・・・・
*写真は震災前の網地島の白浜海水浴場

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