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疲れた長距離出張

 車で新潟まで一泊二日の出張をしてきたが、ちょっと疲れた。というか、若い部下が運転する車に酔ってしまった。ああっ、他人の運転で長距離+山道のドライブはダメだわ。若者特有のグイグイと踏み込むアクセルワークと山道のせいで身体が前後左右に絶え間なく揺すぶられて具合を悪くし、途中で気分転換に買って飲んだ缶コーヒーが追い打ちをかけた。
 ミルクたっぷりの「カフェオレ」を飲んだのだが、具合が悪い時には一番飲んではいけない飲み物だった。血の気が引いて胸がムカムカしていたところに、腹具合まで悪くなり「非常事態」寸前だった。う~ん、ホントに危なかったな。部下たちの前で粗相をしでかすところだった。これからは、車での出張は宮城県内に限らせてもらおう。もうコリゴリじゃ。
 新潟では買物をするヒマもなく、帰りの高速道路の安達太良SAで「かんのや」のゆべしを買って帰ったら妻には喜ばれた。好物だったんだって。知らなかった(汗)。

PS
 昨夜、仕事相手の方々8人と長岡で飲んだ時のこと。新潟で一番有名な歴史上の人物は誰?と尋ねると、大勢が上杉謙信だという。エッー、上杉謙信といえば山形・米沢でしょう、りっぱな神社もあるしというと、イヤイヤ生まれは新潟(上越)だと力説されてしまった。ふ~んと受け流して、じゃあ二番目は?と尋ねると、山本五十六・連合艦隊司令長官だろうという。それもへ~といなして、じゃあ三番目は?とシツコク尋ねると、う~ん、河井継之助かな?と自信はなさそうに答える。なんでも長岡藩の家臣で幕末に活躍した人らしいが、分からないので、じゃあ女性では誰?と迫ると、う~ん、う~んとみんなで唸って、誰かが小林幸子と言った答えには一同大爆笑だった。確かにすでにもう歴史上の人物かもしれない(笑)。

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No title

ayutaさん、こんばんは。
ホントに知りたければ自分で調べるのですがね。
教えるってホント難しい。

No title

なかなか地元の人じゃないと知らない事ってありますよね。それをこうやって教えてくれるのはいいことかもー。ちょっと多過ぎて暗記は難しいけど(^_^;) 
フンフン、って思って読んでました。
新潟県は社員旅行の候補地となってるので、決まったら暗記する勢いで読もうと思います。

続きの実業家9

☆大川博ヒロシ…東映映画の創設者(1896~1971年)。映画会社「東映」の再建にらつ腕を振るい、プロ野球球団「東映フライヤーズ」のオーナーとしても有名(1962年には、日本一になる)。
1951年、多額の負債を抱えた系列の「東映」の社長に就く。中村錦之助らのスターをそろえた時代劇を当て、黄金時代を築いた。

再び古代。
#1500年代、越後守護・上杉房能フサヨシ(関東菅領・顕定の弟)の側室・綾子…柏崎市の下野、高原田の2集落には国重要無形民俗文化財指定の芸能「綾子舞」のモデル。

#鮭延秀綱…上杉家以前の越後の守護。
宇多天皇の子孫・佐々木党。後に山形県の最上家の家老となり、関ヶ原の戦いの上杉討伐の時に大奮戦して、上杉家を退ける。
最上家のとり潰しの後に、徳川家重鎮の土井利勝に乞われ、筆頭家老となる。人徳厚く部下思いだった為、小説「こじき大名」のモデルとなる。

再び財界8

☆大倉喜八郎…(1837~1928年)大倉財閥の創設者。
一代で巨大財閥を築き、東京電灯(現・東京電力)や大日本麦酒(現・サッポロビール)、帝国ホテルなど数多くの事業創立に参加。中国大陸でも製鉄、鉄道事業などを展開した。
教育、社会事業にも私財を投じ、東京経済大学の前身である大倉商業学校や日本・東洋美術の収蔵で知られる大倉集古館の設立にも足跡をしるした。
※二代目の大倉喜七郎はホテル王。帝国ホテル会長を務め、1962年にホテルオークラを設立。

続き7

#横山操ミサオ…日本画家(1920~1973年)。
昭和を代表する日本画家の1人。
1956年には「炎炎桜島」で青龍社の最高賞である青龍賞を受けた。
#蕗谷夢路…(1898~1979年)有名な画家らしいです(全国区)。新発田市に記念館あり。業績は辞典で調べて下さい。

*堀口大学…(1892~1981年)詩人。大正14年1979年に文化勲章を受賞。

*坂口謹一郎…発酵・醸造学者(1897~1994)。上越市に記念館あり。業績は辞典で調べて下さい。(通称「お酒博士」として親しまれる)

#遠藤実ミノル…昭和や演歌の作詞?家。
国民栄誉賞受賞。
業績は辞典で調べて下さい。記念館あり。

*第36代の横綱・羽黒山(1914~1969)。
*文学博士・小柳司氣太…業績は自分で調べて下さい。

続き6

#諸橋轍次(テツジ):(1883~1982)漢字学者。世界最大級の漢和辞典「大漢和辞典」全13巻を編纂サンした。この功績で1965年に文化勲章を受賞。世紀の大事業といわれた辞典は、畏敬を込めて「諸橋大漢和」と呼ばれる。

#小林古径コケイ…日本画家。大正時代に日本美術院の再興に参加。中心作家として「新古典主義」と呼ばれる画風を確率したことで知られる。
1950年に文化勲章を受賞している。安田、前田と共に日本美術院の三羽ガラスと称される、大正から昭和にかけて活躍。切手にもなった「髪」や「清姫」「孔雀」などの代表作が残る。

#佐々木象堂ゾウドウ…(1882~1961)鋳チュウ金家。日本の近代工芸を代表する作家の1人で、1960年に重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝に認定された。1958年に「鋳銅瑞鳥置物」が日本伝統工芸展の最高賞を受賞。「瑞鳥」は皇居正殿の棟飾りのデザインに採用されている。

新潟県の歴史上人物5

実業家では「益田孝」でしょうか。
彼は、旧三井物産創業者(初代社長)。晩年は小田原に居を構え、茶人・純翁として生き、確か日本三大茶人となったはず。今もそこは観光地になっているそうです。
また彼は私財を投じて「中外物価新報」(現・日本経済新聞)を創刊。
明治後期には石炭や米、生糸など日本の主要輸出品をはじめ約300品種を扱った。明治40年代の年商は約2億円で、当時の日本の貿易総額の約2割を占めたとのこと。

医学界では、「池田謙斎」。長岡藩士の子として1841年に生まれ、日本の近代医学の礎を築いた明治期の医者。ドイツ留学から帰国後の1877年に東京大学医学総理(現在の医学部長)に就任するなど、日本の近代医学教育に先進的役割を果たした。1888年には日本では初となる医学博士号を受けた。
もう1人医学界から、「平澤興(コウ)」。
1900年生まれの医学者。
脳神経解剖学研究では世界的権威として知られ、京都大学総長などを務めた。
1951年に脳の『錐体外路系』に関する研究で日本学士院賞を受賞。脳脊髄内の運動神経路の解明に貢献したことが評価された。

もっと一般的な人

一般的には、作家の「山岡荘八」でしょうか。
彼は、大河ドラマ『独眼竜政宗』の原作『伊達政宗』でも著名かもしれませんが、もっとも有名で代表作は、大河ドラマの原作にもなった『徳川家康』でしょうか。50巻位続いたでしょうか。
そして、もう1人、文学・小説家の坂口安吾(『白痴』『堕落論』など)。

政治家では、幕臣の「前島密(ヒソカ)」。一円郵便切手になっていて、東京都日本橋に胸像が建っています。彼は明治新政府の下で、日本の近代化に向けた各種事業に尽力し、中でも郵便事業を発案し「郵便の父」と呼ばれる。1872年、陸運元会社(現日本通運)を創設。官界を去った後の1887年、東京専門学校(現早稲田大学)学長を務めた。1890年には東京・横浜間の電話交換業務を開始した。
これからの多岐にわたる功績が認められ、1902年、男爵の爵位が与えられた。江戸遷都の提案者としても知られる。

新潟県の歴史上の人物3

(続き)
上杉繋がりで「上杉景勝」でしょうか。
豊臣秀吉の下で五大老になったので。

そして、その筆頭執政だった直江兼続とか。日本史に詳しい人は天地人以前から有名です。

本当は一般的には、故・田中角栄首相でしょう。
ちなみに河井継之助は「奥羽越列藩同盟」で、仙台藩と共に
長岡藩の軍事総督として戊辰戦争を戦っているのですがね。
司馬遼太郎の著者「峠」の主人公ですし、NHK大河ドラマにもなったはず。テレビ朝日の開局50周年にもゴールデンタイムでドラマ化され、中村勘九郎さん主演で放映されました。

後、長岡藩つながりでは、米百俵の小林虎三郎(確か、吉田松陰のところで学びリーダー格になったとか)。小泉前首相以前より、著名な劇作家・山本有三が「米百俵」を書き、演劇や全国区で映画化もされています。
そして、河井継之助の御付きを勤めた「外山脩造」。彼は、関西財閥を作った人で、日本初の興信所など多くの会社の創設に尽力し、特に阪神電鉄、大阪麦酒会社(現アサヒビール)などの創設者として知られ、近年まで、大阪に銅像が建っていました。阪神タイガースのタイガーも、外山の幼名・寅太から来ているという逸話もあります。
更に長岡藩つながりで、女性ですが「杉本鉞子(エツコ)」がいます。彼女も全国区で日本史詳しい人は知られていますが、海外の方が著名かもしれません。彼女は長岡藩家老の娘で、戊辰戦争後に渡米して『武士の娘』という本を英語で書き、評判になり、その後、5~7ヵ国に翻訳され、日本の武士の女性の生き方(生活)が詳しく紹介されたのです。
(女性版、新渡戸稲造でしょうか)

新潟県の歴史上人物

(続き)
偉人を多く排出している宮城県仙台市に比べれば、新潟県など大したことのない県なのかも知れませんが、一応は歴史上の人物もいます。
謙信公の他には、越後上杉氏から鎌倉公方を補佐する役職の関東菅領になった上杉顕定(上杉氏の祖先は足利尊氏の母・清子の父)。
※最後の越後守護・上杉定実は、外戚の曽孫に当たる伊達家から養子を迎えようとしたが、伊達家で内乱が起こり中止。その時に贈った上杉氏の家紋「竹に飛び雀」が何故かちゃっかり今も伊達家の家紋に使われている。

仙台の方ですか?

今晩は。

上杉謙信は新潟県の上越市・春日山城を居城として、宿敵・武田信玄と川中島で戦い、関東菅領として北条氏康と戦い、北陸では織田信長の配下・柴田勝家以下重鎮達と戦い手取川で退け、石川県能登市の難攻不落の名城・七尾城を無血開城させた、正真正銘「越後・新潟県の武将」です。
米沢市へは、新潟県で亡くなった後、後を継いだ養子・上杉景勝が、カメに入れてミイラ化させた謙信公の遺体を→福島県会津→米沢市へと持って行ったからです。(米沢市の謙信公のHP等で確認出来ると思います)

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Author:yyrn
戌年生まれ。南小泉で生まれ育ち、結婚して榴ヶ岡で賃貸暮らしを始め、子供が生まれて仙台の北の丘陵地帯に移住。強烈な宮城県沖地震を経験し、あまりモノには固執しなかったはずが、一生アパート暮らしも淋しいかと13年前に北の丘陵地帯に中古の家を購入。そこで庭いじりでもしているハズが3月11日に大震災を再び経験。幸い家族や我が家には被害はなかったが2万人が亡くなった大震災だ。この経験を無駄にしてはならないのだが・・・・
*写真は震災前の網地島の白浜海水浴場

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