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喪中ハガキ

 家に帰ると喪中ハガキが届いていた。送り主は中学、高校と同級生のHからだった。
 78才の父親が9月に亡くなったという。驚いて電話をかけた。そう云えば4年前、宮城県にHが戻ってきたときに二,三度会ったきりで、あとは以前のように年賀ハガキを交換する程度の付き合いになっていた。
 心筋梗塞だった。朝、Hが出勤するときに交わした言葉が最後になったらしい。

 亡くなったお父さんは大柄な人で声も大きく昔はすごい迫力があった。中学時代はHの社宅が学校のそばにあったのでよく遊びに行ったが、私が一緒にいてもよく家族を大声で怒鳴っていた。酒もタバコも好きで酔っぱらうとさらに威勢が良くなって散々からかわれた。そのお母さんも輪をかけてキップのいい人で、学生時代は色々なモノをおごられた。いま思えば似た者同士だったかもしれない。

 そのお母さんも5年前に亡くなり、年老いた父親を一人で亘理の田舎に住まわせておくのも可哀想だと、Hは4年前に長年勤めた会社を辞めて宮城に戻ってきた。大手企業ながらリストラを繰り返す会社には愛想を尽かしていたのでちょうとイイ機会だったと云っていた。いま「赤帽」をやっている。土日は休みらしい。

 Hの息子や娘は一番長く住んでいた宇都宮で社会人となり、そのままそこで暮らしている。長野生まれのHの妻は娘が社会人となった2年前に宮城にやってきたと云うが、50を過ぎてから馴染みのないところに「終の棲家」を構えるのも大変だったろう。

 人はどのような終わりを迎えるのか、誰にも決められないが、職業だって、住むところだって、自分で決めるというよりは「巡り合わせ」がそうさせるのではないだろうか。どんなコトでも、どんなモノでも、何となくそうなった、という場合が多いような気がしてならない。結婚すらそうではないか?

 だからといって努力はムダだとは言わないが、最後はあきらめも必要だと言いたいだけだ。

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Author:yyrn
戌年生まれ。南小泉で生まれ育ち、結婚して榴ヶ岡で賃貸暮らしを始め、子供が生まれて仙台の北の丘陵地帯に移住。強烈な宮城県沖地震を経験し、あまりモノには固執しなかったはずが、一生アパート暮らしも淋しいかと13年前に北の丘陵地帯に中古の家を購入。そこで庭いじりでもしているハズが3月11日に大震災を再び経験。幸い家族や我が家には被害はなかったが2万人が亡くなった大震災だ。この経験を無駄にしてはならないのだが・・・・
*写真は震災前の網地島の白浜海水浴場

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